★平成14年10月〜平成15年12月★
★平成16年 1月 〜平成16年12月★
★平成17年 1月〜平成17年12月★
★平成18年 1月〜平成18年12月★

平成19年12月 ●自分にできることを
【一日作さざれば、一日食わず】

中国唐代の禅僧・百丈懐海(749−814)は、『百丈清規』という初の禅堂生活の
規則を作ったことで知られているが、この中で「普請」ということを強調している。
すなわち、禅堂での共同生活には上下の別なく、全員が等しく労働に従事する、
という意味である。
百丈は老齢になっても、自ら率先して労働に携わっていた。
弟子たちは心配し、道具がなければ仕事をやめるだろうと考え、
百丈の鎌をかくしてしまったことがある。
その日、百丈は仕事を休んだが、その代わり食事をとらなかった。
弟子が「なぜ食事をなさらないのですか」と訊ねると、冒頭の返事をしたという。
これは、新約聖書のことば「働かざる者、食うべからず」(テサロニケ信徒への手紙)
とよく対比されるが、百丈のことばが自分にいい聞かせるものであるのに対して、
新約聖書のことばは他者を責めるものである。
これでは、病人や老人など働けなくなった者は立つ瀬がない。
百丈は、他者はどうであれ、自分にできることに最善をつくしたのである。
日本も高齢社会になり、社会福祉なども、十分とはゆかないまでも、
国の手でかなり行われるようになった。
しかし、高齢者の能力や経験の活用という点では、まだまだである。
高齢者でも、若者とちがった形で働き、社会に貢献することができるはずだ。
これからは、働ける者はその能力に応じて働くことのできる社会にしなければならない。
《百丈・伝燈録》
平成19年11月 ●大局を見わたす
【げにも多くの人びとは、みずからの見るところに執着す。
ただ一部分のみを見て、たがいにあげつらいて争うなり】

これは、原始仏教経典にある一節で、
盲人が象を見に行ったときのエピソードである。
盲人たちはそれぞれ像の身体の各部分にふれ、
自分の感じたままのことを伝えあった。
象の足にさわった者は「柱のようだ」といい、
尾にさわった者は「箒のようだ」といい、
腹にさわった者は「壁のようだ」といい、
鼻にさわった者は「太い管のようだ」といった。
それを聞いていた目の見える者たちは失笑した。
しかし、釈迦はそれをたしなめ、
「われわれもちょうど、この盲人たちのようなものだ」といって、
冒頭の一文を告げたのだという。
自分では世の中のすべてを知ったつもりでいても、
あくまでも自分が目にしたものを通じてのことであって、
『西遊記』に出てくる孫悟空のように、
釈迦の掌の上にいるようなものなのである。
人間のかぎられた寿命と能力からすると、
短い一生の間にわれわれが見わたせる範囲は知れたものだ。
しかし、いくらかでもより広い範囲を見わたすため、
ちょうど高い山の頂に近づけば近づくほど下界の眺望が
ひろがるように、常に全体を見わたせるような識見と度量を
もつよう努力せねばなるまい。
それにはまず、無知や偏見を正してゆかなければならない。
われわれはまだまだ、
あるがままの広い世界を知らない井のなかの蛙なのである。
《衆盲模象経》
平成19年10月 ●心のままに振る舞う
【うたうも舞うも法の声、
三昧無礙の空ひろく四智円明の月さえん】

禅の真髄をわかりやすいことばで民衆に語りかけた白隠の和讃の一つで、
いつでも、どこでも、誰にでも、心のままに振る舞うそのこと自体が
自他の救いとなる「遊戯三昧」の境地をうたったものである。
ふつう、悟りを求める禅の修行というと、異を好み、奇を衒い、
自由奔放に振る舞うのを闊達と信じ、
大言壮語して得意がることだと思いがちであるが、そんなものではない。
昔、黄泉という禅僧のもとを、生半可な禅をかじった一居士が訪ね、
「汝は黄泉というそうだが、麦こうせんか、米こうせんか」
といってからかったという。
こうせんとは、穀類を煎って粉にしたものである。
しかし、さすがは黄泉、平然として
「麦こうせんか米こうせんか、嘗めてみよ」と答えた。
居士はここぞとばかり「喝!」と大喝一声。
黄泉はさらに平然として、
「むせたか、むせたか」と、居士の背中をさすってやったという。
これは、悟りとはふだんの立ち居振る舞いのなかにあるのであり、
心を開けば、たちどころに悟りの世界が現出することを物語っている。
ある人がラッキョウの皮をむいていた。
皮をむきつくしたら、なにもないので、
このラッキョウは皮ばかりで実がない、とこぼしたという。
悟りとは、ラッキョウの中身などにあるのではなく、
まず、その皮を食べるところに味が出てくるようなもの、といってよかろう。
《白隠・坐禅和讃》
平成19年9月 ●自然に学ぶ
【一夜、落花の雨、満城、流水香し】

中国宋代の雷庵虎中が1201年にまとめた禅僧の伝記『普燈録』の一節である。
一夜の雨で、前日まで咲き誇っていた花が散り、
その香りが城のほとりの水面一帯にただよっている、という情景を、
雪竇 智鑑(1105−1192)がうたったものである。
目の前の情景をなにげなく表現した詩であるが、
短いいのちを精いっぱいに咲き誇り、
時がくれば一陣の風でさっと散ってゆく花の様子は、
ちょうど人間の運命のようでもある。
また、少し前の時代の詩人・蘇東坡は、「柳は緑、花は紅、真面目」とうたっている。
当たり前の自然の情景をうたった詩のようであるが、
その当たり前のなかに真実が隠されているのである。
曹洞宗の開祖・道元(1200−1253)は、十年の歳月を中国で過ごし、
禅を学んで帰国したとき、人々からその感想を求められて、
「目は横に、鼻は縦についていることが、ほんとうによくわかった。
だから空手でもどってきた」と答えたという。
年間千六百万人もの日本人が海外旅行に出かけるが、
まだまだ観光・食事・買物の駆け足旅行が多いようだ。
現地の人々とふれあったり、自然の風情にゆったり目をとめる機会もあまりないまま、
免税店で手に入るようなお土産を抱えて、疲れて帰国するのでは、
せかっくのお金も時間も泣こうというものだ。
《雪竇 智鑑・普燈録》
平成19年8月 ●気楽に生きる
【念仏は、何にもさはらぬ事にて候ふ】

禅寺の山門にはよく「葷酒山門に入るを許さず」と書かれている。
「葷」とはニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ハジカミの五辛をさし、
その臭気の不浄さと精力がつくため、出家者には禁じられ、
酒は仏道修行のさまたげになるのでやはり持ち込みが禁止されていた。
法然の弟子があるとき師に、
「そのようなものを食べて臭いが消えなくても、念仏は申さねばならないのでしょうか」
と訊ねたのに対する答えが、冒頭の一節である。
すなわち、「念仏さえ申せたら、そうしたものにこだわらなくてもよい」と。
いくら禁止したところで、戒律を犯す者がいれば有名無実であり、
かえって偽善的行為を助長するだけである。
それよりも、もっと気楽に念仏を申せるようにしたほうが、
ましな生き方ができるというものではないか、というのである。
「自然法爾(自力のはからいを捨てて、如来の手にすべてまかせきること)」に
由来する「法然」という名前そのものが、心身の緊張から自分を解放し、
リラックスすることを教えている。
われわれは、危険な仕事に立ち向かうときには真剣になり、緊張せざるをえないが、
緊張しすぎると心が縛られて判断力がにぶり、やるべきこともやれないことがある。
そんなときには、固くなった自分の心を解きほぐし、自分を客観視できるくらいの
ゆとりをもって、やるべき仕事に立ち向かうべきではなかろうか。

《法然・勅修御伝》
平成19年7月 ●理屈をつけずに
【名号を念仏といふ事、意地の念を呼て念仏といふにはあらず。
ただ名号の名なり。物の名に松ぞ竹ぞといふがごとし】

時宗の開祖・一遍(1239−1289)は、
「念仏」という語より「名号」という語を好んで使った。
なぜかというと、念仏という語には、
仏を心のなかに思い浮かべるという意味があり、
観念の念仏になるおそれがあるからだ。
一遍は、ただひたすらに念仏を口に出してとなえることを説いた。
物には「松」とか「竹」という名がついているが、
なぜそう呼ぶのかと聞かれても答えようがなく、
ただ、松は松、竹は竹である、といわざるをえない。
それと同様に、
念仏とは「南無阿弥陀仏」という名をとなえることなのだ、
というのである。
われわれはとかく、ものごとの意味を詮索し、
理屈をつけて解釈したがる。
しかし、それがいったい人生にとってなんの役に立つのか、
というのである。
そして、いつも自分を第三者の立場に置いて、他人事のように、
「ああでもない、こうでもない」と、
まわりの人の意見や主義・主張をあげつらう
人間のことをいましめているのである。
ひとが「右」といえば「左」と答え、
ひとが「左」といえば「右」と答えるあまのじゃくも、
そうした人間と同様である。
時には理屈ぬきで、すなおにものごとを受けとめるようにしなければ、
実り多い人生を送ることはできない。

《一遍・語録》
平成19年6月 ●心をつかむ
【一法を得ざるを、名づけて心を伝うと為す。
若し此の心を了せば、即ち是れ無心無法なり】

中国唐代の僧・黄檗の言行録の一節で、禅語としてよく知られている
「以心伝心」に関する問いに答えたものである。
禅問答でよく、「なにものにも執着するな」と説かれるが、ある弟子が、
「頼るものや執着するものがなにもないというなら、いったいわれわれは、
なにをよりどころとし、なにを伝えたらいいのでしょうか」という問いを投げかけた。
これに対して、「心を以て心に伝う(以心伝心)」と、黄檗が答えたところ、
弟子はなおも、「では、心から心に伝えるという、その心もないというのは」
と訊ねる。
それに対して、黄檗はこう答えたという。
「心とか法といったことばや概念にとらわないということを、正しくつかむ
心のあり方が伝心なのだ。ここには心もなければ法もない」
心とか法というのは、会社でいうと部長や課長といった肩書きにあたり、
内容がともなわなければただの呼称にすぎない。
そうしたものにこだわっても、
人間やものの実際のはたらきや価値を知ることはできない。
それを「無心無法」といっているのである。
ひとの心をつかむとは、地位や肩書きや発言をうんぬんするのではなく、
そのひとの真のはたらきや価値を知ることにはかならない。
《黄檗・信心法要》
平成19年5月 ●すべてにゆとりを
【一丈の塀を越えんと思はん人は、一丈五尺を越えんと励むべし】

自分のやるべき仕事を余分に見積もり、努力すると、
気分的に楽にはかどるようである。
人間の心理とはおかしなものである。
仕事を一時間で終わられるつもりで実際に一時間で終えるのと、
一時間半かかるつもりでいたのに一時間で終わったというのとでは、
気分がだいぶちがう。
曹洞宗の開祖・道元(1200−1253)の教えを弟子の懐弉が筆録した
『正法眼蔵随聞記』には、「深く耕して浅く植える」との一文があるが、
深く掘っておけば、ゆとりをもって植えることができるのである。
家や店舗などの間取りにしても同様である。
ゆとりのある設計がなされていれば、快適で落ち着きのある住空間になるが、
実用一点ばかりで設計された場合は、なにか安っぽささえ感じる。
自動車のハンドルにしても、多少のあそびがないと、まっそぐに走行できない。
企業の設備投資の資金繰りなども、必要な金額ぴったりの資金を
用意しただけでは、なんとなく不安がつきまとう。
また、鷹揚すぎるのもどうかと思うが、ひとのやることにいちいち目くじらを立てて
小言をいうものは、せせこましくて、余裕のない小器の人間に見られがちである。
なにごとにつけても、「ゆとり」というものが欲しいものである。
《法然・勅修御伝》
平成19年4月 ●ぼんやり過さない
【人は営みしげくして、日ごと夜ごとにそのいのち滅び去るをも覚り得ず、
風にゆらるる灯びの、消えなんとするごとくなり】

中国浄土教の大成者・善導(613−681)が浄土往生の実践行として示した
詩句の一節である。
しかとした人生を歩まずに、うわついた毎日を送る者をいましめている。
「今日も一日、なんらなすすべもなくむなしく過ごしてしまった」と、
一日の終わりに嘆く人も少ないだろう。
そういう私自身、いままでの張り切りはどこへやらで、よい知恵が浮かばず、
締切りが近づいているのに筆が遅々として進まず、
やりきれない思いがすることがある。
そして、これではいけないとあせるほど、いたずらに頭や手先が空転し、
たちまち一日が過ぎ去ってしまう。
わが国の随筆文学の傑作とされる吉田兼好の『徒然草』(百八段)には、
「一日のうちに、飲食、便意、睡眠、言語、行歩、やむ事を得ずして、
おおくの時を失ふ。そのあまりの暇いくばくならぬうちに、無益の事をなし、
無益の事を言ひ、無益の事を思惟して、時を移すのみならず、
日を消し月を亙りて一生を送る、もっとも愚かなり」とある。
今日もいたずらに暮れんなんとする自分自身の
日常生活を指摘されているようである。
《善導・往生礼讃》
平成19年3月 ●ありのままに接する
【客に接するは独りおごるがごとく、独りおるは客に接するがごとし】

明治時代に禅者として活躍した釈宗演(1859−1919)のことばである。
客の前にいるときは独居のときの気持ちになってありのままの姿で相手に接し、
また、独居のときは客が前にいるつもりでいることをすすめている。
最近はこれとは逆に、ひとに接しているときは、
自分をありのままの自分以上に恰好よく見せようとし、
一人でいるときは自分を甘やかしてしまう人が多いように感じる。
そして、そのどちらも、ほんとうの自分を見失っているような気がしてならない。
ありのままというのは、自分本位の態度やものの見方を捨て、
そのものの語るにまかせる境地をさしている。
それは、他人の目ばかりを気にする虚栄や偽善の心を捨てなければ、
得られない境地である。
白樺派の代表的作家・武者小路実篤は、
「見るもよし 見ざるもよし されどわれは咲くなり」
と、花に託して人間の心のあるべき姿を表現している。
ありのままとは、無心ということでもある。
そうした境地はただ、自分が仏の心になりきったときにあらわれる。
また、出会いそのものが、仏のはからいによるものなのである。
《釈宗演・座右銘》
平成19年2月 ●心をこめて取り込む
【往生を思わんこと、たとえば、ねらいづきせんとする心根をもつべし】

『一言芳談』は編者未詳で、鎌倉時代末期ごろに成立したとされている。
法然とその影響下にあった有名無名の念仏者の言動を集めたもので、
念仏行のあり方、念仏者の心得を実際的に述べている。
「好きこそものの上手なれ」とよくいうが、ほんとうに自分の気に入った
仕事ならば、ひとからあれこれ命令されなくても、すすんで取り組む。
そして仕事ははかどり、仕上がりの質も高くなるものである。
ところが、気が乗らない、いやな仕事となると、仮に引き受けたとしても、
なかなか仕事ははかどらず、いい加減な仕上がりになってしまったりする。
ただし、職人気質の人などは、自分にやる気がないと、何日間でも
ブラブラして、やる気が起きるのを待って一気にやりとげるようだが。
欧米の劇場でも歌い、また、『夕鶴』など日本の創作オペラにも意欲的に
取り組んだソプラノ歌手の砂原美智子さんは、生前、
「歌に心がこもっていれば、好き嫌いを超えたところで、人の気持ちを動かす。
声も美しいのに越したことはないが、たとえ美しい声でなくても、心があれば、
歌はおのずと美しくなる。」と述べたことがある。
仕事といい、歌といい、そのものに惚れこみ、心をこめることによって、
美しく高められるのである。
《法然・一言芳談》
平成19年1月 ●出足が肝心
【水の滴、したたりて水瓶をみたすごとく、
愚かなる人は、ついに悪をみたすなり】

なにか事をなそうとすれば、最初の出足が肝心である。
少しぐらいならたいしたことはないだろう、とたかをくくって、
自分の足の趣くままに歩みはじめると、いつしか泥沼にはまりこみ、
気づいたときにはニッチもサッチもゆかなくなっていることがある。
Aは東に、Bは西に、おのおの一歩ずつ歩んだとする。
はじめはわずか二歩の差だが、そのうちそれが千里の距離になる。
真への一歩か、偽への一歩か、善への一歩か、悪への一歩か、
美への一歩か、醜への一歩か、正への一歩か、邪への一歩か、
そのいずれに向くかによって、たった一歩といえども、
最後には大きなへだたりができてしまう。
世の中はそんなに単純なものではないと、笑う人もいるかもしれない。
しかし、よいことをするのはむずかしいが、悪に染まるのは簡単だ。
少しぐらいならと思ったのが不運のはじまりで、ウソも盗みも、
そのたった一回がやみつきとなり、あとは転がる石のごとく、
どんどん落ちてゆくばかりである。
そうならないためにも、最初の一歩を踏み誤らないことが肝心である。
《法句経・121》


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