2017.09.25
秋分の日。
秋のお彼岸です。
今年もお彼岸に婦人会の皆様とご法話を聴聞させていただきました。
「お浄土は場所じゃない」
あらためて考えさせられました。
お浄土は活動体であると教えていただいたことがあります。
私たちを救うはたらきが時にお浄土となって私たちに関わってくださる。
そう感じたお彼岸参りでした。
2017.09.24
照蓮寺仏教婦人会のお講。
普段は口に入らないお料理を囲んで楽しく食事しました。
ひとつひとつのお料理は前日から台所の担当の皆さんが手間暇かけて仕込んでくださったもの。
ありがたくいただきました。
2017.09.23
先日、照蓮寺の本堂でお葬式をするご縁がありました。
みなさんが祭壇と呼んでおられる葬祭業者の「荘厳壇」を用いず、
お寺の本堂のお飾りをそのまま荘厳壇に見立てて葬儀を行いました。
シンプルですが、お花、ロウソク、香炉、棺桶、これで十分です。
最近はお寺や自宅でお通夜や葬儀をすることがほとんど無くなりました。
亡くなるのは病院で、それが当たり前。
葬儀は葬祭業者のホールで、それが当たり前。
いつからそれが当たり前になったんでしょう。
私がこどもの頃は、まだ当たり前ではありませんでした。
2017.09.22
先日お坊さんの会議に出席してきました。
会議の名前が「北陸ブロック組長会」
組長は「そちょう」と呼びます。
私たちの富山教区(富山県呉東地区)は14のグループ(組、そ)で構成されています。
この照蓮寺も水橋組(みずはしそ)というグループに属しています。
北陸ブロック組長会は福井県、石川県、富山県の全ての組(そ)の代表が集う会議です。
今回は水橋組の組長さんの代理で出席させていただきました。
様々な議題について報告や質疑がされ、今後のご本山や宗門の方向性、また地方の現状や問題点などについて活発な議論がされました。
はじめてこの会議に出席させていただきましたので、頭がクタクタです。
ですが、私たちを包括する浄土真宗本願寺派のことをより多く知ることができました。
2017.09.20
最近行けていないそば打ち。
このままではきしめんからレベルアップできないな、と感じていた頃。
寺にそば打ちの先生がお見えになられました。
「今打ちたて。これ食べてのどなおして」
ありがとうございます。
おいしくいただきました。
やっぱり打ちたては美味いですね。
こども達も「お父さんのきしめんより美味しい」と大好評でした。

2017.09.17
友人に誘われて講演会に行ってきました。
共感力というテーマで、内容はとても難しいもので、私の知能で理解できるレベルを越えていたように感じます。
しかし、やっぱり思うのですが。
自分のわかることだけ聞いていても成長はしないよねってことです。
知らないし、気づいてないからこそ、学ぶということがあるんだと思います。
それを思い出せただけで、十分に幸せな日でした。
2017.09.16
昨日総曲輪の別院にてイベントがありました。
とても有意義なイベントにお手伝いさせていただき、素晴らしい経験をさせてもらいました。
余ったロウソクを再利用するアイディアや近所の料理屋さんとの交渉、イベント全体の構築など、自分にはとてもできないことをやってのける皆さんを間近で見ることができて本当によかったです。
自分ももっと大きくなりたいと思いました。
まだまだ勉強です。

2017.09.15
先日の運動会に向かう道中。
前を自転車で行くこども達の後ろ姿を眺めながら徒歩で追いかけました。
「先に行ってるね」と私に構わず、本当にさっさと行ってしまいました。
その姿を見て大きく成長したなと感じました。
時間の経つのは早く、
だから今やろうとしてることがあるなら
あんまり先延ばしにしてはいけないなと思いました。
当たり前に来年があると思うから今年はやらない。
そんなことにならないように、今年も残り頑張ろう!
2017.09.14
先日、プレゼントをいただきました。
「手帳」
ケータイ電話が壊れた時に、予定がわからなくて困ってたということを聞かれたのか、手書きの手帳をくださいました。
こういう心遣いは何にもかえられません。
ありがとうございます!
早速なにか書きたいのですが、来年の手帳なのでしばらく使うのは我慢します。
2017.09.12
歯が抜けました。
こどもの歯が抜けました。
生え変わりをする歯「乳歯」です。
グラグラになっていましたが、自分で引っこ抜けなくてしばらく放置していた歯でした。
無事に抜けて本人が一番ホッとしていました。
「乳歯が抜けるとその後に永久歯が生えてくる」
知っていれば驚きませんが、もしも知らなかったらビックリするでしょうね。
心配していても、安心していても、
知っていても、知らなくても
次に歯が生えてくるという事実は同じ。
これを仏教でいえば、私たちへのほとけさまの救済のはたらきは同じ。
私たちのその時の状態を問わず、同様に救済されます。
「どんな状態でも」というところにはたらきの素晴らしさがあるんですね。